コントロールするよりも機能することを目指す
突然ですがコントロール思考の人で「自分が周りを
コントロールしている」と自覚している人は
一体どれだけいるでしょう?
「周りをコントロールする」ということは、それくらい
自然にというか、ごく当たり前のように
やってしまうものになる、というのが私の印象です。
一度コントロールしてそれで快感を覚えたらもうやめられない。
これはもう麻薬みたいなものですね。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
コントロール思考になると他に何もしなくても、
あたかも
「自分は何かをしている」
と錯覚をおこしやすい。
ただ単にコントロールしているだけで、何の成果も無いのに、
「何かをやった」と思ってしまう。
ここも麻薬のようで怖いところです。
周りをコントロールして何かをやって成果が出ているのか、
それとも成果が出ていないのか、そこは冷静に見ないと
いけません。
もし幸いにも
自分はコントロールして満足している
だけだった!
と気付けたのなら、コントロールすることよりも
「自分が機能する」ことにパワーをかけるように
していったほうが良いと思います。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
例えば母親であるなら、子供に厳しくしたり怒ったり
するのも一つの役割ですが、これだけではコントロール
になってしまいます。
厳しくしたり怒ったりしつつも、やさしくしたり、
う~んと甘やかしたり、一緒に遊んだり、
話をじっくり聞いてあげることも役割の
はずです。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
このように色々な面を持つことが
「機能する」
ということだと思います。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
仕事でも同じです。
上司・部下・同僚にイライラしたり、仕事自体が
うまく行かない時があったりします。
しかしそのような時に周りに対して怒ってみたり、
一方的な指示を出してコントロールしようと
しても、うまく行かないことのほうが多い
でしょう。
(仮にうまく行ったとしても、それは一時的なものでしょう。)
周りに怒ってみたり、一方的に指示を出すことも時には必要
でしょうが、周りの不満を聞いていく、困っている人がいたら
手を貸す、皆が助かるような改善案を出す、なども大事なことです。
自分の不満ばかりをぶつけるのではなく、
自分以外の不満も吸収し改善していく。
このようにすればその人は「機能している」と言えると思います。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
上記のように「機能すること」とは、意思・情報がどちらか
一方向の流れには決してなりません。
「機能する」とは色々な面を持ちますので、意思・情報が
相手と相互の流れになります。
相互の流れとなってこそ「機能している」と言えると思います。
コントロールの流れは「一方向の流れ」、
機能する流れは「双方向の流れ」という
ことでしょう。
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
・ ・ ・
自分が「機能する」ことを目指すと、自然と脱コントロール思考
になっていくはずです。
コントロール思考になって一方向の志向で
イライラするよりも、脱コントロール思考で
ほど良く力を抜きつつ双方向の志向で
ごきげんに過ごす。
どちらが良いかは言うまでもありませんね。
▼元記事はこちら