ある程度の不自由さこそ大切
ドラクエやファイナルファンタジーなどのRPGでセーブデータを
改造して遊ぶやり方があるようです。
この改造データで遊ぶとは、自分でコツコツレベルを上げていく
のではなく、事前に用意された(レベルアップされていたり
最強武器・防具を持っている状態の改造データ)もので最初から
遊ぶやり方のことです。
私はゲームは好きなのでよくやるのですが、改造データで
プレイしたことはありません。
そもそも改造して遊ぼうとも思いません・・・。
それはゲームは不自由なところからコツコツ積み上げていって、
少しずつ自由が増していくことが面白いと私は思っているからです。
初めから最強武器・最強防具を持ち、レベルを最大でプレイしても
全然面白くないのです。
これはゲームでの話でしたが、ゲームに限らず仕事や勉強やスポーツなど、
人生は様々な場面でこのように
不自由 → 自由
になっていくから楽しいのだと思います。
不自由 → 自由 の過程で色々なことを得て、自分が成長していく。
そしてそこで得たものをまた他の分野でも生かして、より楽に
スピーディーに自由に近づいていけることがある。
もちろんすべてがそうなるとは限りませんが、その過程で得られた経験や
成長実感こそが人生の醍醐味なような気がします。
しかしゲームの改造セーブデータのような人生を送るとしたら、果たして
それは楽しいのでしょうか?
最初から最強に近い状態でプレイする人生だと、いきなりコントロール思考
でスタートしてしまうようなものです。
自分のコントロールが効く領域だけで生きていけるのなら、それはそれで
良いのかもしれません。
しかし長い人生、そんなことはできない可能性の方が高いでしょう。
ここ最近(江戸末期から現在まで)の日本を見ても、
士農工商 → 軍人 → ビジネスマン・・・
という感じで、世の中の中心層は変わっていっています。
戦後はビジネスマン(働く人)が世の中の中心として支えてきましたが、
これが将来同じくらい中心にいられるかどうかは分かりません。
世の中は変わっていくのが常です。
その世の中で、自分がコントロールできる領域だけに固執し、コント
ロール思考が強化された状態で人生をスタートしてしまったら、
途中での矯正はとても難しいのではないかと思います。
そのようにならないためにも、ある程度の不自由さが必要なのだと
私は思います。
常にある程度の不自由さがあれば、自分はまだまだだな、とか、
自分の力だけではどうしようもないことがある、と自覚できます。
そして自分の力を把握し、人生の場面場面で内省し、より深いレベルで
自分を見つめ直すことで己を客観視していけるようになるでしょう。
しかしコントロール思考が強くなるとそうはいきません。
自分を内省する必要がないので、単にコントロールすることだけを
求めていくようになっていってしまします。
そして自分がコントロールできないことはダメだと決めつけてしまい、
自らの領域をどんどん狭めていってしまうのです。
ある程度の不自由さがあれば、自分でレベルを上げて不自由から自由を
得るように自然となれると思います。これはドラクエでレベルを上げて
新しい武器や防具を買い、新しいエリアに行くのと同じです。
このような感覚が無いと、人はコントロール思考に陥ってしまい、
自ら不幸の方へと行ってしまうというもの。
なので人生である程度の不自由さがあるのは実はとても大切なこと
なのだと思います。
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